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明治初期から中期にかけての釣りの名人の一人に菅実秀がおった。そんな菅実秀は彼一代で中級武士から上級武士にまで出世した人物でもある。
「何事も必死になり、寝ても覚めても忘れぬようになれば上手になる。自分は磯釣りならば名人である。一度行った釣り場なら絶対に忘れない。幼少のころ竿かざし(竿の扱い)を上手になりたくて、夢の中でも畳の縁に釣り糸をたれて思う場所に投げ込めずにうなされて目が覚めたことがある。また、トイレに入って釣りの工夫を考えているうちに出るのを忘れ、家の人から呼ばれ、ふと我に返ったこともある。その位に、熱中しなければ何事も成功はしない。」と云っている。
ことに自分自身が釣りの名人と自負している実秀だけあって、その釣りは豪快派の代表「神尾文吉」ゆずりの大物を狙う釣りであった事で知られている。庄内磯で大物を上げるコツとして「天候を察し、波を見、潮を読むことにある。風が悪ければ大魚は決して餌を受け付けない。又、南風が吹かなければ大魚は釣れない。」と述べている。庄内磯の特徴をよく知り尽くした言葉である。ことに加茂から北の磯では、比較的浅く北風などにより波が出ると砂の上に堆積した枯葉や木屑が舞い上がり黒く濁り絶対に釣れない。昔は秋から晩秋にかけての釣りであるから南側の磯では、南風の暖かい風が当たり適度な潮のハケが出ると深みから大型の魚が出てくることが多いことが分かって居る。
米沢藩の中興の祖と云われる上杉鷹山公の「なせばなる。なさねばならぬ何事も、ならぬは人の情けなりけり」を釣りにかこつけて後輩達に諭した文としても知られている。
この人の趣味は多彩で磯釣りのほか盆栽、絵画、骨董、刀剣の鑑定、書道、囲碁すべてが一流であったと伝えられている。
古の名釣師由良の九郎兵衛は「釣は魚より教えらるるなり。そこに気づかぬものは上手にはならぬ。」といい、今泉の勘十郎は「何事もやり始めた以上は成し遂げるまではやめないものだ。」とも云っている。当時磯場近くに住んでいた釣の名人たちは武士と異なり、教養こそなかったものの実践を通して釣の上達を、身を持って体得した釣師たちである。その言葉は釣を志す自分にひしひしと感じられる説得力がある。
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日長一日、釣糸を垂れているとすべてのことを忘れてすがすがしい気持ちになる。
清らかな池は緑の水をたたえ、磯は水を抱いて流れている。
やがて夜になり気温が下がって、笠や蓑(みの)に新霜が降りてきた。
釣竿に身を託して釣を楽しんでいると、やがて明月が空にかかり秋の気配が感じられて来る。
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この七言絶句は、自然と一体化した釣師菅実秀の感情が素直に滲み出ている漢詩ではないだろうか? |
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